2011年12月31日土曜日

年末


●近況
今年最後の「てくてく日和」ロケをキャラクターデザイン兼作画監督のクガイ君と泊りがけでしてまいりました。
写真)谷中の神社とクガイ君


本当はロケの楽しいレポートをなんて考えていたのですが、想像以上にシビアでシリアスな会合になった為あまり書ける事がありません^^;
結果的にお互いのやることを確認できたので結果オーライではあるのですが「てくてく日和」という作品の完成という目標が相当な時間と労力がかかるのではないかというシビアな現実もより明確になりましたね^^;それでもやり続けるということに基本変わりはないのですが、チーム全体の動きとして来年からは大きく変わることは間違いないです。そのことについては後述しますが、来年は大きく僕らの活動が変わることは間違いないと今は考えています。

ちなみにロケ自体ですが、谷中にロケし続けて約5年、さすがに当時の景色も変わりつつありますね。

              
谷中から見た遠景が少しずつ変化しています。なにやら新たな開発が進みはじめているようです。古いものと新しいもの・・・その景色の見え方がまた大きく変わり始めていることに驚きながら、またひとつ大きなドラマがじぶんのなかでうまれはじめていることをひしひしと感じるロケでした。

●今年の総まとめ
4月から転職活動があったり、自分にも色々ありましたし、何より震災以降といういままでの日本の時流を断絶しかねない分岐点がありました。いや・・・もう変わってしまったのでしょう。
そんな中、制作中の「てくてく日和」の予告編を公開し、賛否共に色々なご意見をいただきました。
新しい仲間も増え出会いもありました。また予告編の反省後によりよい作品をということでまた一段状況を変えて今も尚動いている状態です。
今年の反省を一言で言うと「水面下の活動に終始してしまった」ということに尽きると思います。

●そして来年
今年の反省を踏まえて、来年はもう少し柔軟にフットワークを軽くすること。
「てくてく日和」に限らず僕達の活動をそんなものであれ形にしたものを短期集中で公開していくことに心血を注ぐ決意を色々悩んで決めました。
それは今まで僕に関わってくれた仲間の気持ちに対する答えであり、少なからず僕らに期待してくれている人達の気持ちにもこたえる形にしていこうということでもあります。

「てくてく日和」制作は今後も続きます。と同時に全く違った形で僕らの活動を垣間見える表現をしていこうと思います。

来年もこの不器用な制作集団を見守っていただければ幸いです。
宜しくお願いいたします。

それでは良いお年を~

代表 トミタ

2011年9月2日金曜日

近況 イベント編


約二ヶ月弱ぶりです;
更新できずにすいません。ここ二ヶ月間は非常に公私(があるのか?)共にバタバタしていてちょっと
文章にするのが難しかったのでなかなかブログに向かうまとまりが作れなかったです(思考的に)
今回は二度に分けて更新しようと思います。
まずは怒涛のようにイベント参加したり足を運んでいたのでそのことから・・・。

●ワンダーフェスティバル

初参加です。というよりうちの自主スタッフさんの中でベテランの3Dクリエイターの方がいまして、その方の紹介で3D-GANさんのブースで「てくてく日和」の予告編を流していただきました。
ありがとうございます。当日は殆ど現地にはいなかったので実際見ていただいている様子は殆ど見れませんでしたが、ところどころで足を止めていただいたことに非常に感謝しております。
すっごい遠くからみてましたw即席のチラシでしたが3Dスタッフさんのご好意で配っていただいたいて助かりました。
イベント自体はざっとでしか見れなかったのですが面白かったです^^
ワンフェスはどちらかというとフィギアなどの立体造形メインのイベントです。個人的には企業ブースは既存のアニメ・ゲームのキャラクターの立体造形がメインなのでなんとなく予想がついたのですが、個人でオブジェやオリジナルスピーカー、はたまたかわいい動物などなど様々なモチーフを立体化しているのは興味深かったです。
自分のイメージが立体化する、特に3Dとは違う生の質感を持ちじかに触れることができるのはなにか違うクリエイトの感性を刺激されますね。
じっさい予告編を流させていただいたブースの主催者である3D-GANさんはアニメーションの作画参考?的なものを立体化もしています。ようはなんでしょうマクロスFの現場に頼まれて実際3Dモデルからバルキリーを起こすような感じといえば分かりやすいでしょうか・・・・。
自分達が脳内でイメージしたものが実際の物質となって立ち上がるというのは何かまた違う趣があると思います。
今すぐ何かに活用できそうというアイディアはないですが;例えば世界観を作りこんだ漫画・アニメにおいて実際にプロップデザインを立体で起こすというのは何か面白い化学反応がありそうですね。
アニメ・漫画・ゲーム産業とこのようなフィギアなどの文化というのは決して別のものではないので
何か商用的な部分意外でも利用できると面白いかもしれませんね。

●ヨコハマトリエンナーレ

これもかなり前にいったので記憶にない部分もありますが;
いきなり最初から変ないちゃもんです;
基本最近の日本の美術館の展示はもうちょっとシンプルにして欲しい。
この前見に行ったパウル・クレイ展もなんか見る順序が分かりにくかったり、今回も展示作品の説明が別途のパンフにしか記載されていないものが多く、作品とそのバックグラウンドの断絶が凄まじかった;作品鑑賞に集中できない。もちろん説明抜きで体感的に作品を見るのもありですが、現代アートの類はやはりコンセプトありきなモノもあるので、もうちょっとやり方考えてもいいかなと。
見に行ったのはBANKアート1929と横浜美術館。面白かったのは夏休みの宿題の体で結構子供が多かったこと。彼らはいったい何を感じてみていたのだろうかとは思いました。トリエンナーレという展示自体あまり見に行ったことがないというのもあって大まかに感じた印象は芸術作品を満遍なく散らしたちらし寿司のような印象を受けました。作品に触れるということ自体を目的としている意味ではとてもいい展示だと思います。ただ自分に対してですがもう少し小さい展示から大きい展示までちゃんと定期的にギャラリー・美術館に足を運ばないとなという印象でした。大学二年のときが一番いきまくってました。こうバラエティー性に富んでいるとどういう視点で見ていいのか正直戸惑いました。
マグリットとかマンレイと同時にオノヨーコだったりアラーキーだったり個人的にはカオスに感じていました。コンテンポラリーダンス的なパフォーマンスとかは非常に感慨深い感動を受けました。闇の中で静かな音と共にパフォーマンスを見るとある種呪いにも似た快感がくるなと。
とてもいい作品もありました。あとカールステン・ニコライですよ!ファインアートをやってるとか教授(坂本龍一氏)の話では聞いていたのですが、やはりどちらかというとミュージシャンという印象が強かったのでやっと見れたという気持ちです。作品自体は2作品ですし個人的にはこれで判断をするのは難しいのですが;
久々に美術館に足を運んだので(とはいいつつもたまにパウルクレイ展とかいきますが)楽しかったです。
最近一番心が震えたのミッフィー展ですしね;ブルーナの才能に狂喜乱舞していました^^;

●コミティア

こちらはイベントに参加する友人が家に前日泊まりに着たので勢いで僕も見に行きました。
かなり久しぶりに行きました。これも非常に刺激的でした。ある種、一番創作というものに対してやさしい場所だと思うのですよ。そこに触れたときに、自分が小説を書き始めたこと、様々な出会いによって創作活動してきた自分というものが非常に浮き彫りになって、今の自分にとっても凄くいい体験ができました。
こちらは一次創作・漫画の同人誌のイベントですが、こちらもアニメとは無関係ではないです。特に日本におけるアニメーション表現は漫画と共に進化してきたともいえるので、創作、アニメーションを作るということにおいて非常に刺激を受けました。個をとるか全をとるかというのは創作の中で、特にどんどん商業的なポジションになるにつれ非常に悩ましい問題であり、そのアンダーグランウンドにはコミティアというような自由に創作する場があるという、創作ってなんだろうと考えさせられる一日でした。江川達也さんが「アニメや漫画というものはアンダーグラウンドな土壌に強く支えられて進化してきた」と仰っていて非常に共感します。てくてくスタッフや高校卒業したくらいからの創作仲間にもたくさんあえて楽しかったですよ。ちょっと話しずれつつ、後日書く予定ですがいまでこそ東映動画、日アニ的、ジブリ的なアニメーションイズムが強い昨今ですが、りんさんや出崎さん、杉井さん、富野さん、川尻さんといった虫プロ出身者が作り出してきた漫画的な映像表現も日本にはなくてはならない表現であり、漫画とアニメは重要な関係性を持っていると感じています。極端なリアリズムやPANやTU、TBを多用したカメラの運動意外にもアニメの表現は漫画から得てきた止めのレイアウトの魅力がまだまだ可能性としてあると感じております。そこらへんは近況自主制作編で書きます・・・多分。

2011年7月23日土曜日

イベントのお知らせ

※お知らせ
明日のワンフェスにてスタッフさんのご好意で「てくてく日和」の予告編を流してもらえることになりました。当日は即席ですが僕らの活動を簡易的に説明したフリーペーパーもおいてあります

もしよろしければお立ち寄りください^^





写りは悪いですがこんな感じですー

ワンフェス詳細


名  称
ワンダーフェスティバル 2011[夏]
Wonder Festival 2011 [Summer](WONDER FESTIVAL 2011 [SUMMER])

開催期日
  2011年7月24日(日曜日) 10:00~17:00

会 場
  幕張メッセ 国際展示場 1・2・3・4・5・6・7・8ホール
〒261-0023 千葉県千葉市美浜区中瀬2-1
TEL 043-296-0001(代表)

一般参加料
  税込2,000円(公式ガイドブック付/小学生以下無料)



場所は
5-20 3D-GANさんです。
島が丸ごとひとつ同じディーラーとなってます とのことです

僕もずっとかは分かりませんが
少し顔を出すつもりですー

始めていく場所なので分かりませんがフリーペーパーは僕が持っていくので午後なら確実にあると思います。
宜しくお願いいたします。

制作はより密度の高い予告編よりもよりいものを作ろうとメインスタッフともども
なんとかやっております
第二弾をお楽しみに^^

2011年7月4日月曜日

これからのこと

お疲れ様です。
そしてお久しぶりですちょっとバタついていたのでかなり更新が遅れました。


まずはだいぶ前から公開しておりますが、ただいま制作中の「てくてく日和」の予告編第一弾を公開しておりますので、興味のある方は下記のアドレスより是非ご覧になってみてください^^

http://www.youtube.com/watch?v=nrNSHrRNWTY

近況の報告ではないですが
今後に向けて動く際に色々なことがありました。

ひとつはやはり震災と放射能ですよね。
僕はこの事件で大人に対する考え方、自分達若い世代に対する意識がガラッと変わりました。
細かいことはここにはかけませんが。
強いて言えば自分達若い世代の足場の弱さです。
技術的にも情報的にもかつて僕らの年齢だった大人に比べると僕らは様々なことが出来、さらには知ることが可能です。
ですが一方で精神的な面などは非常にもろいと感じることが多々あります。
そういう意味でも、このスピード社会では非常に不安になることは多いですし、上る階段をどうにか二段飛ばしで走りぬこうとしたくなる若さゆえの勢いはあるのです。それでも僕は今は自分にとっては修行の時期であり、技術だけではなく思想的にもより育て、しっかりとした足場を持って上の世代の人たちと戦って生きたいと思いました。
仕事もたくさんしたいです。とにかく淡々とやるのではなくひとつひとつを丁寧にこなしながら熱意を持って生きていこうと思います。基本僕は直情的なので;なかなか淡々とうまくこなしたりは出来ないので;



そんなこんなで今後の制作の話で言えば、予告編の反省会を行い各スタッフの意見を聞いて非常に自分にとってもいい経験になりました。
メインスタッフ達が今非常に作品にないようにいたるところまで共有しはじめています。
きっかけは作画監督のクガイ君の一言からはじまりました。
自主制作としてではなくひとつの作品として完遂したい!それがかれの率直な熱意であり意見でした。
自主制作としてというと語弊がありますが、簡単に言えばアニメーション制作というのはとても大変なものです。その中でいい作品がでてくるわけですが、その反面、アニメーション制作を完成させるというハードルはある意味自主制作にとってひとつの結果になりすぎているのではないかという気がします。
絵が綺麗ならいいのか、作画がよければいいのか、そのた様々な部分が質が高ければいいのか?という部分において僕らメインスタッフはNOという結論に至りました。
なによりも「てくてく日和」という作品の中に生きている世界と人々を描ききることが、僕らにとっての作品の完遂であるという決意を新たによりディープなスタッフワークが始まっています。
スタッフの意識が変わることによって、この作品の見え方も僕自身変わりつつあります。
予定している予告編第二弾は第一弾とはまた一味違った空気感をお伝えできると思います。
より制作はじりじりと難しいところも見えてきていますが、なんとか自分達が描いたものを1パーセントでも多く描きたいというのが今の僕らのスタンスです。
そしてそれはある意味、創作の楽しさでもあると思います。

今後ともがんばっていきます。宜しくお願いいたします。

あ、それから作画・背景スタッフも随時募集中です。
詳しい募集要項は改めてお知らせします^^

2011年5月17日火曜日

久々に更新



※ただいま製作中のPVから何カットかキャプチャーしたものを載せさせていただきます。
しかしながら全カット色味調整、撮影の直しなどしているので色味は信用しないでください^^:


ちょっと間があいちゃいましたがお久しぶりです?
今日は久々にただいま製作中の自主制作「てくてく日和」について話せる範囲で話そうと思います。
五月末か六月頭にはなんとかPV第一弾を一般公開できそうです。
当初は30秒か1分の予定だったのですが、まったりとした世界観を少しでもお見せできるよう3分になりました出来上がっているカットから厳選してみなさまにもまったりとした?「てくてく感」を味わっていただけたらなぁと思います^^

しかしながらアニメーション作りは本当に難しい;
カメラの露光の具合、広角なのか標準なのか望遠なのか、動画のタイミングはどうするか?
カットのテンポは?などなどそういった技術演出から表情やしぐさといった内容の演出まで考えること
自分の技術や考え方が変わるほど、たくさん勉強すること、考えることが山積みです^^;

わりと制作当初はスタッフとのやり取りや打ち合わせなどが多く(衝突も^^;)やることが多くなかなか落ち着けなかったのですが、今は演出、監督業、そしてLOの細かいチェックをやる時間の割合が増えてきて非常に助かってます。
動画面でサポートしてくれている新スタッフのちょっと特殊な技術に色々とスケジュール的にも円滑化するという意味で助けられてます。
それだけではなく諦めず関わり続けてきたスタッフ達のおかげで本当に助かっています。
コミュニケーションとして非常に今はディープな打ち合わせをしております。

・最近思うこと
作り手にとって大きなテーマだと思いますが作家性(というとカッコいいですが自己満足性みたいなものかなぁ)と娯楽性という作品を人に見せる以上なくてはならない大事な要素について最近はいろいろ思うところがありました。
「自己満足的に作品に向き合わず、娯楽としても人に楽しめるように作るべき。」
そんな言葉を最近作り手の方からもよく聞こえてきます。
娯楽性というのはなんなんだろう?という疑問はつきないのですが
押井守監督が「映画は発明するものだ」とよくいっています。
その前後でいろいろとは言ってはいるのですが・・・・
僕の解釈ではもちろん娯楽性は大事しかしその娯楽性もまた作り手の世界観である以上、周りに転がっているものではなく「自分なりの世界における娯楽性」を見つけそして作らなければいけないのではないかと痛感しております。他の娯楽から借りてきたものでは、また意味が違ってきます。
作り手1人1人にとっての開かれた入り口としての娯楽性があるのではと最近は思います。
動き出したら止まれないですが、ふと俯瞰から自分を見つめなおすような時間も大事だと思います。
もう十分そんなことはしてばっかりですが;
当たり前なことですが娯楽、または開かれた作品というものも多種多様に分かれていて、決して1元的にそして2元論の対立構造では語れないということが大事なのかなと思ったりしています。

なにはともあれなんとか技術的にもそうですが、作品の内容をじっくり見せる世界観を紡ぎだせればと思います。

・そしてこれから

かねてより演出に興味があった付き合いの長い作画スタッフさんに新たに演出ポジションに就いてもらいました。この前もいろいろと話しました。
演出に興味があるとは言っても見え方がいろいろ違って面白いです。例えば仕草のツボひとつとっても抑えどころの視点が違うわけです。この違いを活かしたスタッフワークをさらに心がけていきたいと思います。
また話は飛びますが、ある種、実際にPVづくりの中で具体的なハードルが見えたのは非常に大きな成果だと思いました。ここからどうするのか演出的に考える余裕が少し出てきました。
やっと山の頂上がどこにあるのかわかった今、もう少し踏ん張り方を身に着けて邁進していきたいと思います。

まだまだこれからです;
そして最近バタついててあんまり連絡取れてない友人よすまん;

なんかあんまり内容のあるブログじゃないとは思いつつ
ここらで終わらせていただきます。

2011年4月25日月曜日

巨匠逝く



出崎統監督がお亡くなりになりました。
僕にとってはひとつのアニメーションの星が消えたといってもいいでしょう。
「ガンバの冒険」「あしたのジョー」
「あしたのジョー2」「宝島」
「家なき子」「おにいさまへ」「ルパン三世」
「エースをねらえ!」「コブラ」「白鯨」
と本当に大好きで。繰り返し繰り返し何度も見ています。
杉井ギサブロー監督・押井守監督そして出崎統監督は僕にとって憧れであり
僕の幼少期のアニメ体験を大きく変えてくれた本当にかけがえのない監督でした。
今日はその中でも僕の中で思い入れの強い作品を紹介しつつこれを追悼させていただきたいと思います。

「ブラックジャック OVA」


僕が初めてショックを受けた出崎作品はブラックジャックです。
出崎監督を意識するようになったのは中学生の頃に見た「あしたのジョー2」と「ガンバの冒険」ですが
当時小学生だった僕の脳裏に焼き付いたのはこのシリーズです。
割と厳しい母だったため当時流行のアニメは見てはいけない環境でした。
許されているのは世界名作劇場やムーミンといった一見子供向けに見える作品のみで
過激な描写のものは見てはいけないということになっていたのです。
当時、熱を出したときのみ母親と父親はビデオレンタルでアニメを借りてきてくれるのです(そこで銀河鉄道の夜に奇跡的に出会っていたわけですが^^;)
手塚治虫原作ということで親も安心したのでしょう。
このブラックジャックの三巻「マリア達の勲章」を借りてきたのです。
しかしこのブラックジャックなんといっても出崎監督の個性が大爆発した男臭いバイオレンス&エロスな作品で、当時の僕はぽかーん状態^^;
なにせ病に倒れた将軍と部下たちが国外に逃亡する話で、それを追う政府の特殊部隊との容赦ない戦いの嵐ですので;もうブラックジャック関係ないじゃんとw
このシリーズ、内戦だのクーデターだのヤクザと刑事の戦いだのもうほんとやりほうだい^^
しかし僕は祖父とこっそり?押井守だの洋画だの見ていたのもあって
手塚治虫作品というより出崎監督の映画的な描写の連続にすごく興奮した記憶があります。
アニメーションでこんなことが描けるんだ!という驚きと興奮は今でも忘れません。
今でこそアニメが劇画の影響でリアリスティックに描かれるいきさつを知っていますから、なんというか当たり前のものとして見れるのですが。
小学生の僕にとってアニメとはそういうものではなかったので、この入り乱れる暴力とエロティシズムには強い魅力を感じました。
先に挙げた監督達はアニメーションは決められたセオリーだけではなくときには映画的な手法もしかり、いろいろな方向に広がっていいものなのだということを教えてくれた心の師匠のような存在です。
特に出崎監督は有名なハーモニー処理だけではなく、光の入れ方や陰影のつけ方など撮影処理においても非常に実験的な絵作りをされて、アニメと親和性が高いともいえないような効果すら積極的にアニメーションに取り入れていたことは非常に印象的です。
これも今にして思えば真崎守監督や川尻監督、りん監督といった出崎さんと同じ虫プロのクリエーター達はあるときは映画的な、ある時は漫画劇画的に様々な実験をしていたことを知るのですが、小学生の僕の初体験は非常に驚きに満ちていました。

「エースをねらえ」



劇場版の1とかは僕より年上のアニメファン、クリエーターの方に多大な影響を与えていると思いますが、僕の個人的な思い入れでいうと2は総監修と絵コンテという立場でしたが、非常に印象に残っています。
コーチの死後、心に傷を背負いながらなかなか立ち直れない、岡の再生の物語でもあり。じっくりと人間のドラマを描いていく描写に非常に感動しました。また杉野さんの描くキャラクターの仕草やポーズもまた出崎監督作品にとってはかかせない魅力でした。このOPはどこはかとなく杉野さんのいつもとは違う一面も感じさせるので好きです。


「雪の女王」


これは近年の作品ですね。昔普通に感想系のブログ描いてました^^;
このEDが凄く好きです。出崎監督は人の営みではなく、人の生き様をびしっと描くところが凄く素敵です。
ゴルゴとかどんどんリアリスティックな劇画になっていく作風がここでまた「家なき子」のような子供向けの旅モノになったというのも驚きでしたし、毎回力技ながらダイナミックに見せる1話完結のゲルダ達の旅は本当に面白かったです。そして「マッチ売りの少女」のような救いのない物語を徹底して描いたり、出崎監督に衰えなし!と感じさせるパワフルな演出は実に見ごたえがありました。
そして最後のEDでゲルダを見守るような優しい視線にグッとさせられたものです。

描きだしたらきりがないですが僕が生まれる以前の作品から近年の作品まで、僕にとって出崎作品は大事な宝物です。いままでほんとうにありがとうございました!

僕も誰かをそういう気持ちにさせる作品を作りたいと願いつつ邁進したいと思います。

2011年4月11日月曜日

Viva La アニメーション!

自主制作は相変わらず遅々とした歩みですが、みんなのおかげで順調に進んでおります。
またインターフェイスドッグス初の海外のアニメーターにも参加してもらって、チーム制作は賑わいを見せています^^国内外で素敵なコラボレーションができると嬉しいですね。
スタッフは国内外問わず今もアニメーター、背景担当募集中です。

今日は最近見た二つのアニメーション映画についての感想です。

ひとつめは日本でも公開中のシルヴァン・ショメの最新作「イリュージョニスト」であります!




ロックンロールやTVが世界を席巻し、時代が古きを追い落とすように進む1950年代のパリ。昔ながらのマジックを披露する初老の手品師タチシェフは、かつての人気をすっかり失い、三流の劇場や場末のバーでドサ回りの日々。そんなある日、スコットランドの離島に流れ着いた手品師は、やっと電気が開通したばかりの片田舎のバーで村人相手に芸を披露、喝采を浴びる。興奮冷めやらぬ村人たちの中で、貧しい少女アリスは、手品師を何でも願いを叶えてくれる“魔法使い”と信じ、島を離れるタチシェフを追いかける。言葉も通じない二人は、やがてエジンバラの片隅で一緒に暮らし始める。落ちぶれた自分を魔法使いと尊敬し、甲斐甲斐しく世話を焼き甘えるアリスに、生き別れた娘の面影を見るタチシェフ。しかし、初めて都会へやってきたアリスにとって、街は見るもの全てが珍しく、新鮮な輝きに満ち溢れていた。そして、アリスを落胆させまいと、手品師は魔法の呪文で彼女が望むプレゼントを贈り続ける。だが時代遅れの彼に仕事は無く、やがて……。>ネットの紹介分より抜粋

前作ヴェルヴィヴランデヴーはかなりブラックな作品でしたが、今回は情緒的で美しいビジュアルがとても印象的でした。手書きとCGの使い方がまたうまいんだわこれが;
この映画まさに一言でいうと「僕が見てきたフランス映画」そのもの。
映画はアニメーションになりうるかという疑問に対してのまさに答えのような映画でありなが、極端に少ない台詞と動きで物語を語るアニメならではの表現もぴかいちです。
とにかく思い切った演出が際立っていて、並大抵の演出家ならでき得ないであろう空気感を表現していた作品でした。
僕にとっても、アニメーションの可能性としてアニメ独自の間と動きのセオリーをいかに崩してアニメーならではの作品を作るかというのはテーマです。
間とタイミングがほんとうに素晴らしい。そこにカメラがあるかのようなレイアウトそして、1カット1カットの尺のバランス、ひとつひとつがじわじわと作品の臨場感を伝えてくれます。
スカイクロラ以来、久々にアニメーションでキャラクターの感情や根柢に描こうとしているものを探りながら見れる映画です。作風も予告編の印象とは違い、かなりドライで、外連味で描くというよりは、丁寧に丁寧に1つの物語を紡いでいました。あまり多くは語らないのでぜひ見てない方は見に行ってほしいですね。

ひとつだけ思ったのはモブキャラの感じはもうちょっと地味でもよかったような気がします。
どちらかというと前作のテイストですが、かなり強い個性があって、ちょっと作品全体をくいぎみになることがあるのでその辺は気になりましたね。

もうひとつは「ファンタスティックmr.fox」という人形アニメーション



キツネのMr.FOXは農家の主人が仕かけたワナにかかり、妻のMrs.Foxと絶体絶命のピンチに陥る。その時、Mr.FOXは明日の朝まで生き延びられたら、泥棒ではないまっとうな仕事をすると誓う。2年後、すっかり足を洗ったMr.FOXは、妻と変わり者の息子アッシュと3人で穴暮らしをしていた。しかし貧乏な穴暮らしに飽き飽きしていたMr.FOXは丘の上の家に引越し、その向かいにある3つの農場での泥棒を計画する。>ネットより抜粋


こちらはもうちょっとブラックなコメディー作品でしたね。
ウェスアンダーソンは劇映画の監督ですが今回はなんとアニメーション作品に挑戦。
僕の中でこの監督はつかみかねているところがありまして。
真剣なんだか、ふざけているんだか煙に巻くところがある監督ですね;
しかし常に彼の作る世界観は独特でかわいらしくて毒のある不思議なユーモアを感じさせます。
劇場でも何度か笑い声が漏れる、クスッと笑えるいい作品でした。
個人的にはお父さんと息子の関係が良かったですね。
グレてる息子と素晴らしいお父さん狐と思われたいやんちゃなお父さん、この対立構造あってのウェスアンダーソン作品でしょう。ロイヤルテネンバーグもライフアクアティックもすべて父と子のお話ですし、彼の生涯のテーマなのでしょう。
アニメーションの手法はちょっと不思議な感じでした。
タイミングが人形アニメらしからぬというか、どちらかというと2Dアニメっぽいタイミングの付け方で
結構慣れるまで時間がかかりました。
日本のアニメーション軟化の影響も受けてそう。
はじめて人形アニメでフォローカット見た気がするw
なんか画面構成というか絵作りが不思議で人形アニメーターが頭を抱えたというのも少しわかる気がします。
是非この作品もお勧めですので見てください^^

ふたつとも凄く自分なりの世界観があって、セオリー通りに作る大事さも必要だけど譲らない自分なりの世界観を作ることの魅力を教えてくれます。


最後に今日もかなり地震で揺れましたが、元気が出るようロックでも聞きましょう!
てくてく日和の音楽担当の鈴木君と高校の頃の音楽話していたら、フーファイターズ聞きたくなって最近聞いてます。元気が出ますよ^^エネルギッシュに鬱々とした日常を吹き飛ばしましょう。

2011年3月27日日曜日

夕陽のギャングたち



お久しぶりです。
久々のブログの更新です。
社会の不景気の真っただ中地震が起こり皆さん大変だと思います。
自主スタッフは全員無事を確認できました。
自主制作もじわじわと進んでおります。
今日は映画の感想かきます。
作るだけではなく、見ること感じることによって自分の感性を豊かにすることは非常に大事ですよね(ただそのどちらに偏ってもいけないというのが大事)一種の栄養剤みたいなものだと思います^^

○後期セルジオレオーネ作品

ここ最近観た映画の中でもマカロニウエスタンの巨匠セルジオレオーネ監督作品に映画、映像の面白さを再び発見する。多くの傑作の中でもレオーネ監督後期の作品に当たる「ウエスタン」と「夕陽のギャングたち」がとても感慨深い作品だった。
レオーネの中でマカロニウエスタンというジャンルの枠ではない映画製作への意欲を強く見せ始めたのが「Once Upon a Time シリーズ」といわれる後期の3作品だ。
その中で唯一周りの説得でマカロニウエスタン的な要素を多く取り入れて制作されたのが「Once Upon a Time in the West 」邦題ウエスタンだ。

予告編


内容
物語は物寂しい西部のアリゾナ州にある駅から始まる。駅のホームで何者かを待ち受ける屈強な三人のギャングたち。そこに現れたハーモニカを吹く謎のガンマンはあっというまに三人のギャングを射殺してしまう。

舞台は変わって荒野の一軒屋、そこでは開拓者のブレット・マクベインが再婚相手を迎え入れるための準備をしていた。しかし突如として現れたならず者フランクとその部下達によってマクベイン一家は皆殺しにされてしまう。更にフランクは偽の証拠を現場に残すことで事件を山賊のシャイアン一味の仕業に見せかける。ブレッドの新妻であるジルは夫を殺した男への復讐と、女一人で西部で生きていく決意をする。

実はフランクがマクベイン一家を殺害したのは、マクベイン一家の土地を奪い取ろうとする鉄道王モートンの差し金だった。事件の真相を探ろうとするシャイアン、そして何故かフランクを付け狙う「ハーモニカ」は美しい未亡人ジルと彼女の財産を守るために協力しあうのだった。(wikiより抜粋)

感想
何よりも魅力的なのは画面に映るものすべてがこの作品そのものを体現していることだ。
徹底的に言葉や台詞による説明を排除しカット割り、撮影、音楽、そして役者の表情によって全てを語る演出は長い尺の映画ながらだれることなく、こちらに緊張感を与える。
無言のやりとりの中で何を物語るのか、隅から隅まで神経の生き届いたレオーネならではの演出術には頭が下がる。
物語の本筋としては、単純な復讐劇であり西部劇的な枠を超えたものかと言われれば、まさに西部劇と言える内容ではないかと思う。しかしながら、作品の背景にある世界観や時代性を物語の背景としてうまく取り入れているその手法は決して単純化された映画でないことを物語っている。
その象徴としてあげられるのは作品に多く登場する蒸気機関車だろう。物語のもうひとつの主役とも言っていい。西部の無法地帯で繰り広げられる古き西部の世界が産業革命によってひとつの終わりを告げていることが意図的に示唆されるような街の情景のOP後の冒頭のクレーンアップのカットは、たった1カットで時代の終わりを描く見事な演出だと思う。
またそれは物語の深いところに大きく関係している。復讐の機会をうかがう主人公そして敵である悪党フランクという西部劇的な構造ではありつつも、ただ単純な悪役像ではなく1人の人間として描くことによってジャンルモノを超えた人間ドラマが展開している。暴力のみを頼りに生き抜いてきた大悪党であるはずのフランク、しかしながらは時代の変化に付いていけず次第に孤立していく様は、見ているこちらもどこか感情移入してしまう。そして主人公のハーモニカもまたフランクに憎しみを抱きつつもどこか自分と同じ古い人間の匂いを感じ取りどこか親近感のようなモノを感じずにはいられない。西部劇という世界に取り残された二人の男の生き様は涙を誘う。
そして映画史に残る最大の見せ場はまさにそんな孤独な男たちの一瞬の邂逅ともいえるだろう。

言葉で語るのではなく絵そのもので映画の中に込めた全ての感情を詰め込んだ名シーン。
息が詰まりそうになる。
配役も素晴らしい!復讐といえばこの男!チャールズブロンソン!
そして多くの西部劇でも正義の味方を演じてきたヘンリーフォンダが悪役をやるというのも非常にロマンチックな配役だと思う。

西部劇というセオリーは踏まえながら、それを超える世界観で生み出したこの作品は本当に腰の据わった演出だと思う。

そして次に作られたのは1971年の作品「夕陽のギャングたち」である。
これがまた凄い!

予告編


内容
舞台は革命の混乱の最中にあるメキシコ。山賊一家の頭目フアン・ミランダと元IRAの闘士であるジョン・マロリーが出会うところから物語は始まる。爆発物のエキスパートであるジョンを仲間に引き入れて、かねてからの夢だったメサ・ヴェルデの国立銀行を襲撃しようとするフアン。最初はフアンをてんで相手にしていなかったジョンも、最終的にはフアンの計画に協力することになる。

ジョンの助力を得て意気揚々と銀行を襲撃するフアンとその一味だが、そこには現金の代わりに現政権に反抗する政治犯が収容されていた。ジョンに騙される形で心ならずも革命の英雄となってしまったフアンは、以後もジョンと共に革命の渦に巻き込まれていく。(wikiより抜粋)

感想

革命とは暴力であるという言葉から始まるこの作品はもはや西部劇ではなく大河ロマンといった印象である。
とにかく娯楽というものの喜怒哀楽を細部に至るま徹底的に詰め込んだ力作である。
革命というものはなんなのか?人々に幸せを与えるための大義があればそれは正義になりうるのか?
非常に重いテーマに挑んだ意欲作ではありつつも、それ以上に娯楽として十二分に楽しめるのが本当に凄い。
冒頭はイングランドの革命家であり何事にもどこか斜に構えたような態度のジョンと陽気で乱暴な山賊フアンの二人のコミカルな会話劇が続く。不安にバイクのタイヤを銃で撃たれたお返しだと言ってフアンの馬車の天井を爆破したりなど、破天荒でどこかユーモラスな二人の珍道中は非常にコミカルで楽しい展開だ。
会話劇としてもよくできており、台詞に関してもレオーネ作品にしては非常に饒舌でそこまた後半の展開に対する大きな付箋になっていて「うまい!」といわざるえない^^;
知的で少し天の邪鬼なジョンと真っ直ぐだけど悪党のフアンのコントラストはバディムービーとしても完ぺきである。「俺達ふたりでジョン&ジョン(メキシコでいうフアンはアメリカで言えばジョンみたいなものらしいです)だ!アメリカに行ってひと儲けだぜ!」と不安が口説き続けるが、「嫌だ!」と終始拒否するそんなやりとりが続く前半。そしてなり行きでフアンはジョンと共にメキシコ革命に身を投じることになる。
ここからの中盤は活劇モノとしてコミカルでもあり軽快なアクションものに転換していく。
そしてひとつのシーンをきっかけに作品のテイストがどんどんシリアスになっていく。

会話の内容をまとめれば
「革命を謳う裕福でインテリな奴らに先導されて貧しくて無知な人間は浮かれたつ。
そうして何も知らないまま、巻き込まれて死ぬのは貧しい奴らだ!」的なことをフアンに怒鳴られるジョンのシーン。

革命に身を投じてきたジョンは反論できない、というよりフアンの言っていることにある意味ショックを受ける。ここからある事件をきっかけにフアンとジョンの立場が少しずつ逆転していくのがまた面白い。

ここからが後半で、物語が核心にせまりシリアスになっていくにつれて、台詞が一切なくなって、言葉ではなく絵が物語をかたり始める。この語り口というか転換が本当に見事。
ウエスタンと同じくレオーネが本当に語りたい言葉はすべて映像が語っていく。
象徴的なのはジョンのこの回想シーンだろう。



悲しいかな命をかけてきたジョンにとっては革命に身を投じることが全てであり、男の生き方でもある。
まさにそれを体現する名シーンがあったりするのだが、それ以上にフアンの暴力に対する憤りと絶望を迫真の演技で描く演出は見事としか言いようがない。

暴力に対する怒り悲しみ絶望その中でも育まれる、ジョンとフアンという正反対の人間の奇妙でロマンチックな友情は涙を誘う。

そんな感じです。
両作品とも何を描いているのかというと人間の営みなんですよね究極的には。
個人的にオッサン好きという趣味があるからというのもあるのですが^^;
ここまで徹底的にドラマとして娯楽として映画として妥協のない映画は久々に見ました。
結構テーマというかコンセプトがたっている映画なんだけど、説教臭さがなくて娯楽としてここまで楽しめるのは、映画の絵の力で描ききり、決して台詞や言葉で説得するようなことをしないことによってキャラクターが監督の都合の産物ではなくその世界に生きるキャラクター、人間として圧倒的な説得力があるからだと思います。僕が思うフィクションの魅力ってそこだと思います。何か自分の言いたいことや描きたいことの為にキャラクターを描くのではなく、1人の人間としてキャラクターや世界観を見る側に立体的に感じさせることが非常に娯楽として親しまれる重要な要素なのではないかなと思いました。

2011年2月7日月曜日

文楽の艶



もう昨日かな・・・・友人の誘いで文楽を見に行ってきました。

文楽は学生時代に見たので、今回は二回目。
ずっと見たかったわけです。
というのもアニメーションという表現においても無関係とは思えないというのが初めて見たときの印象です。
川本喜八郎さんとか、人形アニメもありますしね。
かのロシアのアニメ作家ユーリ・ノルシュテイン仙人もかなり文楽に関しては言及していましたね。


文楽ってこんな感じ


日本古来の娯楽としてみても日本人の感性というのは非常に様式美を好むことがよくわかる。
舞台というレイアウトの中に全てが詰まっている。

・語り手である 義太夫
・BGM、SEの音響担当 三味線の弾き手
・登場人物または作品のキャラクターである人形
・そして人形に魂を服こむ演者である人形師

この多種多様な要素がひとつの場に収まるということ自体が驚きではある。
僕らが見る演劇、映像といった娯楽にも欠かせない非常に現代的な表現に通じる要素がひとつの舞台に集約されているという日本人のデフォルメ能力には舌を巻くばかりである。

友人とも話していたのが上映中、2、3度はぞくっとくる快感を感じることがあるのだが
これは舞台上で役者ではなく人形が演じる倒錯感に起因することが大きい。

動きや、人形の作りがリアルだからではない。
むしろ見る側の想像力刺激するフィクショナルな存在感が人形から浮き上がってくる。

僕はどうしても自分がやっていることでもあるのでアニメーションとつなげてしまう。

人形という立体物でありながらアニメーション特有のフィクショナルな表現に近いと感じるのは
この文楽自体が三次元的な立体感というよりも、二次元の立体化、ようは二次元を三次元におこしたような
感覚に近いと思う。二次元的なキャラクター、アニメチックなデザインを3Dにおこすゲームとか(いわゆるセルシェーダー的な)海外ではリアルを追及しているが逆に日本では二次元的な絵空事を立体的にたちあげているアナログ感覚の趣向を感じずにはいられない。人形の造形や衣装は様式と記号の集合体であり、人形そのものの質感やリアリティーみたいなものを逆に配して極限までフィクションの中に存在するキャラクターとしての存在感を優先して作られている。ここは結構ポイントだと思う。

アニミズムという意味でもアニメーション的ではあると思うが
イラストやキャラクターという絵に絵物語を演じさせ人々を魅了するアニメーションの倒錯感と
文楽の快楽は非常に近いと思う。

アニメーションという意味で動きに関しても面白い発見があった。
文楽だけではなく京舞や狂言、能、歌舞伎にかんしてもそうだが、感情表現や物語のテンポを
極限までデフォルメして最小限に表現するのは日本人の十八番であると感じる。
いわゆるアニメで言えばリミテッドアニメーションというのがここまで日本独自の進化を遂げたのも趣向が関係していると思う。
更に友人と話していて面白かったのは、何故人形を動かす時に複数の人間を使うのか?というところ。
僕らが話していてでた結論は「あえて不協和音を奏でさせることによって、人の動きの自然な部分を描こうとしているのはないか」ということ。
一人で動かせば人形の動きは基本的に段取り通りに動かせることができるだろう。なら何故あえて段取り通りに合わせづらい多人数で人形を動かすことが必要なのか。
むしろ人形師同士の段取りとはあわないズレみたいなものが、逆に人形師も意識できない人形の細かい仕草に影響しているのではないか?という話。
無駄な動きを一切排するというのは、逆にいえば段取りっぽくなりすぎて機会のような動きになってしまう。
アニメの作画においても同じことが言えると自分は感じる。
きちんと中を均等にいれて動きの軌道上にのせると、人間の動きというよりはロボットの動きに近く感じてしまう。
ここでいう人形師同士の動きのズレを無駄な情報と考えるとアニメーションで言うロトスコという手法で動かした作画に近いと思えてきたのだ。
ロトスコは基本人の動きを実際の取ってそれを絵に変えていく。
たまたまここ最近うちの自主制作でもその手法を利用したシーンがあったのだが、実際に使ってみて思うのは、人の動きをそのままトレースしただけでは絶対にうまくいかない。
むしろ人の動きの無駄な部分を拾うことによって実写とも完全な手書きとも違う紙の上での自然なリアリズムが生まれる。

結果的にはどちらの手法もデフォルメではあるのだが、ひとつの作品の中でもそのアプローチは様々であり。
アニメーションがそうであると同じく、文楽という表現もまた複合的で奥の深いものであると改めて痛感させられた。


こっからは萌え話w

演目は二つあったのですが特に印象に残ったのは

「芦屋道満大内鑑」という浄瑠璃ですね。

あらすじ

陰陽師の安部保名が妻の葛の葉と我が子(のちの晴明)の三人で仲むつまじく暮らす
安倍野の家に、信田庄司とその妻が娘の葛の葉姫を連れて訪ねてくる。
保名の所在を聞こうとすると、なんと娘と瓜二つの女性が顔を出すではないか。
驚いた庄司は、何かいわくがありそうだと保名の帰りを待つことに。
帰って来た保名の前に「嫁入りさせに来た」と娘の葛の葉姫を差し出せば、
からかわれていると思う保名。だって、葛の葉なら六年前から夫婦になっている。
現に、家の中からは機織りの音が聞こえるではないか。
ありっ?! では、目の前の姫はいったい?! これは変化か天狗の仕業か?
保名は事の真相をただすことにする。
日も暮れかかった頃。葛の葉は愛しい我が子を抱いて、父に伝えてくれと物語る。
実は、自分は信田の森に棲む千年としふる白狐で、命を助けてくれた保名のために
葛の葉に姿を変えて妻となり、子までなして楽しい日々を送ってきたが、
本物の葛の葉姫があらわれては、もう一緒には暮らせないのよ、と。
障子に「恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信田の森のうらみ葛の葉」と書き置きして、
子どもと別れる辛さを振りきって、泣く泣く薮の中に消えていった。
こっそりと仔細を聞いていた保名は、
葛の葉の書き置きをたよりに、あとを追いかけていくのだった。


非常にファンタジックでメロドラマな展開でした^^
後半の妖狐の独白のシーンなんかはかなりグッときました。
江戸時代の観客達はこのファンタジックなフィクションの中に自分を重ね合わせたり、感情のおきどころを見つけ涙ぐんでいたことでしょう。
とにかく終始魅了されたのは人形の動きとデザインです。
見れば見るほど感情移入していきます。
人形というのが決して人間を模したリアルなものでないことがよくわかりました。
特に女性の人形の艶っぽさは異常です;
これはもちろん衣装や人形の造形もさることながら演技の素晴らしさたることや本当によく演じ分けられているんです。
妖孤が化けている主人公?の葛野は健気で健康的な人妻でありながらどこか獣じみた動きがちゃんと含まれています。
二つ目の演目でしたがお姫様は動きが極端に少なく、ちゃんと貴族然としたたちふるまいなんですよね;
ちゃんと描く女性キャラクターの設定どおりの魅力と各キャラクターの色っぽさが表現されているんです。
途中から人形であることを忘れ、そのキャラクターに見えてしまうのはちょっと怖いともいえます。
これはちょっと魔性の魅力を感じます。
あくまで者である人形が完全にキャラクターとして存在するんです。
これはちょっとひきこまれますね;
とにかく女性の人形がエロいエロい;
終始はぁはぁしてました。
ちょっとした割烹着?の脱ぐときの仕草、悲しみに暮れるときの伏せたような仕草
歩き方から、襖の開け方、手のしぐさ、体のラインの見せ方
動きのひとつひとつがまるでそこに本当に存在するかのようなエロティシズムを感じてグッとくること間違いないです。ノルシュテインが「お前らマジで文楽見てこい!」と説教していたのがわかる気がします。
これはアニメーターにも色々なヒントがあると思いますよ。
アニメでいうキャラの日常の仕草の魅力に近いかなぁと思います。
そういうのを気にする人はその動きひとつひとつに気がついて興奮することでしょうw

特に面白かったのはこの狐のお話のエピローグ的な意味で語られる
「蘭菊の乱れ」というお話で
人間と暮らし続けることの出来なくなったクズノハが悲しみ暮れながら故郷の森の帰っていくという演目なのですが、これは今書いた動きと人形の魅力にあふれた作品でした。
物語というよりもひたすらクズノハが森に帰る様子を描いています。
もうこれがヤバい;
動きがエロい!
どんどん話が進むごとに、クズノハの動きが獣じみてくるんですよ。
女性的な艶っぽい奥ゆかしさもありながら、獣ぽい荒っぽさも同居していて、それがさらにこのクズノハというキャラクターのエロティックな肉体性をあらわにしています。

極めつけは衣装ですよね;
着物からどんどん獣をイメージさせるような衣装に変わっていく様は「江戸時代の演出家すげーすげー」状態w

見終わった後はこの悲しくもせつない妖狐の女に哀愁と好意を抱いておりました。ええ。
また背景というか舞台美術が素晴らしい

夜の森の霧がかった背景の描き割り、夜の光を象徴した蝋燭の火、そして鈴虫のSE

こういう伝統芸能って小難しいイメージがある人がいると思いますが。
是非興味があれば見てほしいですね。
昔の大衆娯楽でしたから。様式は違えど現代の表現に共通するものもたくさんありますし。
あの人形の艶っぽさは他では味わえないものですよ。

人形に取りつかれる人がいるのはなんとなくわかる気がする。

と長々と書きましたがまだまだ書き足りないぐらいですほんと;

とにかく一言で言うと、人形の動きと造形の艶っぽさ!これに尽きると思います。
僕は完全にクズノハに萌え萌え状態でした。

2011年2月1日火曜日

色味は難しい



ちょっとスタッフの動きがないので、ここ最近は撮影が1通り終わっているカットの色見直しなどをしています。主線を色トレスにするかなど色々悩んだのですが、エフェクトを描けると結局色味がついてくるので仕上げの段階では黒のほうがいいのかもなど。

夜のカットは一部から見づらいという意見もありましたが、これは割と狙いがあってというのがあるので現存のままで行きたいと思っている。見やすくクリアすぎるのもまた僕としてはいささか疑問があるところなので。
その辺はあんまり不安に感じる必要はないのかなと思った。
僕の職場で知り合った某アニメ監督は画面を基本的に白く飛ばす撮影処理を好んでいて、ものすごく見づらかったりする。キャラ以外全部T光みたいな処理をほぼ全カット多用していて、もうキャラが白い光で飛んで見えないほど。さらにいえば特殊効果さんがわざわざつけた処理がぶっ飛んでブチ切れるほど・・ですw
それと同時に観客である自分としては監督なりのなにか画面的な意図を強く感じる。
この辺のアプローチは「アニメなんだから普通は・・・」みたいな意見に左右されないようにしていきたいと思っている。
昼間、朝に関してはカットごとにキャラの色身を仕上げの段階で微調整していたのだが、もっとシンプルにアニメーションの定型を取り入れてもいいのではないかと思っていたりもする。

この辺の采配はあくまで監督の好みではあるものの、特殊化されたものと普遍的なもののメリハリは大事にしなければと思うところです。
色味や処理は正解がないですね^^;

短編シンドロームの制作も大分進んで、そろそろ形が見え始める感じだ。
尺が短いというのは救われる^^;
単純に自己負担率を高めて、チームというよりは三人くらいで黙々と動いているのでまた趣向がちょっと違う。
これもまた「てくてく日和」とアプローチが全く違うのので楽しみではある。
学生の頃からずっとやってみたかった空間の作り方を実験してみようと思っているので、結局定型にはならないみたいではある;

と今日は真面目な話でした。
新しいスタッフも入ってきてまた違った様相も見せているチーム制作です。
ここが踏ん張りどころだと思う。

相変わらず作画、背景スタッフは募集中です。
http://www.interfacedogs.com/recruit.html

2011年1月25日火曜日

新しい映像の流れ

映像を作りきっかけは何か?と聞かれたら自分は映画と答えるわけですが・・・。
いろいろ自主制作の作家さんの話などをネットで読むと「最初はゲームのムービーに影響された」という若い人が案外多いことに気付く。
なんとなく自分の中での疑問が晴れた。
というのも学生時代にもゲーム業界にあこがれている人が結構いて。
個人的にはクリエイター業界のなかでは高収入だからだろうななんて思っていたが、どうやら違うのではないかと思えてきた。
ゲームが作ってきた映像の世界に純粋に憧れている人が相対的に多いのではないだろうかと・・・

実際にゲームをプレイすることで得られる身体性=体感できる世界観は思い出や思い入れを持ちやすく
さらにゲームクリエイターという職業はいかにその快感をユーザーに体感させるかを考える。

モニターに映し出される快感というのは映像という大きな分野でいえば共通している。
昨今の3D映画の流行も含め、批判的な意味ではなくいい意味でゲーム性=仮想の身体性を持った作品をが愛されているということなのかもしれない。

映像自体の文法や方法論ではなくユーザーと作り上げる映像の記号性の構築というのが今のトレンドなのかもなぁとふと思った。
簡単に言えば、ゲーム的な記号表現が、昔からある映像理論みたいなものを凌駕しつつあるのかもしれない。

映画愛好家というのはゆるやかに絶滅に向かっているような気もする。
特に僕もそうだが、いまだに映像詩とかヌーベルヴァーグの世界にあこがれている人間はそろそろオールドタイプの人間なのかもしれない。
昨今の映像作家の持つ、初々しい新鮮さみたいなもので、いつもそれが自分には足りないなぁとか思ってしまう。その正体が少しわかった気がする。

身体性の秀でたものが求められているという意味で(アニメでも動きという身体性が求められているのではないだろうか・・・・すごくつながっている気がする。アニメーター出身の演出家が増えてきていることとか。小難しいことを考えている文筆家タイプではなく)

これはこれでひとつの新しい流れなのかもなぁという。
古いものも消えないけど、あきらかに新しいものが浸透してきているというお話です。


ゲームといえば結構面白そうなゲームの映像。


世界観は抜群のセンス。ここにどういう身体性がはいってくるのかが気になる。


逆に映画的な手法(コンテというか演出的に?)と海外ならではの実験的な試みとセンス(ここでいうセンスは外国人が好んで使うアニメーション技法のこと。ロトスコとかフラッシュとか)が見事にはまっている作品。特にテクスチャー表現は目から鱗状態。ここまでうまい使い方はあんまり見たことがない。

The Thomas Beale Cipher from Andrew S Allen on Vimeo.




最後に最近聞いている音楽。

青葉市子


美しい声と旋律が素晴らしい!
よくよく聞くと結構痛々しい歌詞だったりするが
昨今のポエミーな文章をむりやりフォークソングにはめこむような強引さはなく(なんたらの神様みたいな;)優しい刺激と言う感じ。
この人の白鳥さんの名曲「遠いあこがれ」のカバーもいいですよ^^

結構邦楽は女性の優しい曲が多いです。

これはアニメ好きの人のなかでは人気のある新居昭乃さんのライブ
アニメの主題歌よりこういう曲のほうが僕は好きです。
なんか死んだ魚の目をした美しい女性がベランダ越しにうなだれているような感じ?(ほめてる?)

ではでは

2011年1月23日日曜日

サイト更新

サイトをリニューアルいたしました。
プレオープン開始です。
今後ともよろしくお願いいたします。

http://www.interfacedogs.com/
無償でここまで協力してくれたwebデザイナーのasobo design factory さんには本当に感謝です。
是非今後も盛り上げていきましょう。

ラッシュも何カットか完成し、サイトもリニューアル。
これでいろいろと船出の準備ができたという感じ。
今年はほんと正面場です。

もともとこういうある意味、システムの構築であったり、論理的に動いたりするのは苦手だったりします。
去年はずいぶんそれで無理をしました;

今年は制作に集中したい。
作品としての見てくれではなく手触りのある作品を作っていきたいと思います。

最近MONSTERのDVDをみている

原作ものでありつつも見事なレイアウトとカット割りで舌を巻く。
たしかにアニメーションにとっての喜びはアニメートすることでもあるが
それと同時にいかに構図とリズムが大事かということが嫌というほどわかる作品でした。
むしろ大きいスクリーンで見るとたまに作画の線やデッサンが崩れていることもままある作品です。

しかしそれでも魅力があるのはなんなのか?

この作品においては臨場感と物語の面白さ、それを支えているのは作品におけるリズム感、テンポにほかならない。
絵コンテ、演出に明らかに重点が置かれていることがわかる。
特に顕著なのは撮影処理で、作品における世界観の光と影を見事に描いている。
こういうアニメもまた魅力にあふれているということを改めて再認識しました。

自分たちの作品においては、いろいろとラッシュを見ると反省点も見える
演出のゆるさ、余裕のなさは少なからず見えた。
この辺は気を引き締めて今後も政策に挑もうと思います。

2011年1月19日水曜日

いろいろと更新

モニターなどなどいろいろと新調したせいでかなり作業に不具合が生じていたのですが、
なんとかまきかえしてきた。慣れたら以前とは比べ物にならないほど快適な状況になっています。
16日の日曜日に作画監督とできている映像の部分のラッシュチェック。
いままでの作業のフローチャートは反省点が何点か見られました。
エフェクトと主線の色トレに関しては方向性が定まったと思います。
スタッフの鍋パーティーはもしかしたら2月頭になるかも。
ぜひその時にラッシュのチェックをみんなでしたいものです。


つづいて映画感想です
ツイッターでかいたものを貼り付けます
「チェブラーシカ」と「くまのがっこう」見てきた! 結論から言うと両方とも予想に反してめちゃくちゃよくできてた;驚いた



「チェブラーシカ」
おそらくかなり予算がかかっているのではないだろうか・・・・。とにかく元の作品に対してノリスペクトがちゃんとなされている。昔のロシアアニメーションポイ動きだとか演出の部分がすごくきちんとできていて、よくある子供だましのアニメになっていない。十分楽しめる
個人的な感想でいえば、モブキャラに仙人リスペクトでハリネズミ君がたびたび登場して吹いた。吹き替え版キャストでワニのゲーナが土田大さんで(おおにしぃー)すごいショタコン変態紳士っぷりだった。ゲーナが主人公だよねチェブラーシカは。全裸でパイプくわえて新聞読んでる姿w
大きくまとめると、おっさん紳士が幼女と小っちゃい少年と戯れる素敵なお話でしたwゲーナはやはりもゆる。作り手も結構クスッと笑えるギャグみたいなのを邪推で嫌味に感じないように丁寧に演出していて結構子供と一緒に見に来ている大人も楽しめるように作られていてよかった。
クオリティ自体がやたら高いなぁと思ったらアニメーションのスタッフは脚本演出以外はほぼ外人。演出日本、アニメ制作はほとんど海外グロスはこれから割とスタンダードになりそうな予感。脚本が日アニ系の島田満さんがいたり実は豪華だし。脚本が四人くらいいたので堅実なつくり
「くまのがっこう」
こっちが目当てでみにいったんですが、これも凄くよくできてる。原作ファン歓喜の出来ですよこれは。絵本を絵本風に演出するんではなくて、原作の面白い部分をアニメ表現としてきっちり作り変えていて、原作テイストではないけれど原作ファンが喜ぶ演出になっている。
ちゃんとジャッキーが破天荒だけど泣き虫な子供として描かれていて、なくときの描写がまた素晴らしい!涙ではなく鼻水が垂れるというディティールを強調していて子供っぽい大泣き感がちゃんと演出されている。内容も短いけれどきっちりとキャラクターと世界観を楽しく描いていた

CGIもいい案配で使われていて違和感がなかったし、原作をどうおもしろく見せるかの工夫に余念がない。絵本にはないオリジナルなテイストもうまくいきている。なによりこの原作はしっかり者だけど泣き虫な妹を見守る11人のぼんくら兄貴たちをどう描くかにかかっている。
そうじていうと「チェブラーシカとくまのがっこう」の子供アニメ祭り?は売れ行きは別として作品としては近年では稀なグッズ商法抜きで親子の気持ちをがっちりつかむ企画として成功している。子供向けだからという舐めた姿勢がみじんもない。惰性な部分がないんですよ。昔の日アニを思い出した。
大人も一緒に笑って楽しめるように配慮されているのも大きい。この2作品は「ペネロペ」「リタとナントカ」に並んでここ最近よくできている子供向けアニメに自分の中で殿堂入りした。難を言うなら、3Dの動きがまだこれからという感じ。どうしても重力がない感じに得てしまう。演出でカバーしてるけど
あと今回のチェブラーシカみたいに、監督脚本演出は日本サイドで、あとはほぼ海外という作品は増えるかもなぁ。極端にいえば今の若手の日本のアニメーターは嬉々としてこういうものに参加する傾向は感じられないし、へたなことするなら作家アニメーターや海外のグロスのほうがこういうのは慣れている。
海外が絡むと制約は多いけど、メリットも結構あるし。結構大きな問題を投げかけられている気がした。この手のものはわりと子供だましなものが多いけど、演出サイドがきっちり作っていたから、かなり内容が詰まっていた。やろうと思えばちゃんと作れるという見本みたいな映画でした。以上

鑑賞後、ウキウキ気分で電車乗ったらばったりやり手のデスクさんにあっていろいろ話したが世知辛い話ばかりだった;いやぁーみんな大変そう。

2011年1月15日土曜日

久々に映画について

とりあえずサイトリニューアル用の素材はほぼ作り終えたのと
アニメは今ある素材の撮影はまどが見えてきた。
今日は仕事が忙しい作画監督とちょっと話した。
色々とこっちも気を使ってはいるがしんどいかなぁと心配していたスタッフでもある。
自分「大丈夫?プレッシャー感じてない?」
作画監督「いつもプレッシャーかけてくるじゃないですかw」
自分「そうだね・・・今後も続けてもらっていい?」
あんまりいってはいけないことをつい聞いてしまった
作画監督「死にたくなることがない限り続けますよここまできたら、まだまだこれからが本番ですよ!」

なんか励まされたw
こういう一言は本当に嬉しい。
彼とは三年くらい一緒にやってきたが、正直ここまで続くとも思わなかったし、彼がやり続けてくれることがどれほど力強いか・・・・。
ホント嬉しかったです。
とりあえず16日に一緒に作業します。

んで今日は映画の話を久々に。
インセプション・トイストーリー3・ヒックとドラゴン・キックアスなどなど、ちょっと極端ですが去年からかなり海外の作品が話題を集めていますよね。今度やるソーシャルネットワークなんかもそうですね。
クリエーターさん達のツイッターとかでもこの辺は頻繁に登場しますよね。
「ノルウェイの森」「ヤマト」も一時期話題になりましたね。

そんな中、個人的に去年ベスト1映画で友人にオススメされて見に行った映画がこれです。


「海炭市叙景」
細かいこというとまた暴走するので;短くまとめますが;
本当に現存の邦画では自分にとって理想の映画だった。
音の設計、音楽、役者、演出全てが僕にとっては理想でした。
日常を描くというのは、そこに感動的で大袈裟なカタルシスがあるのではなく
ただ淡々と何か起こりそうで起こらない、何も解決しない、だけど生きていく中で人は少しずつ変わっていく
それはいい意味でも悪い意味でもですがそんな身近な日常を丁寧に描いている映画でした。
音は結構邦画は鬼門なところがあるのですが、些細な仕草でおこる音もきっちり拾っていたのと
音楽がほとんど流れていなくて、ピンポイントで流れていたのは凄くよかった。
カメラのフィルターというか色味、明度や質感も抜群で画面から北海道のいてつくような寒さや乾燥した空気がこちらに伝わってきました。
向こうの映画の様なビックガジェットであったり派手な演出ではなく、日本の日常を凄く丁寧にかつ涼やかに淡々と描いていて、これは近年まれにみる個人的なヒットでした。


「てくてく日和」でやりたいこと結構まんまでしたね;
街が主人公でしたし、「てくてく日和」における最後のオチはあれでいいんだと自信が持てました。
むしろそこは徹底的に描くべきだと。
是非自主スタッフにも機会があれば見てもらいたいですね。
こういうことがやりたいといって見せたら一発だもんこれw

邦画もまだまだ捨てたもんやないですよホント。

役者は主演の兄弟役の谷村美月さん竹内ピストルさんも本当に素晴らしかった。
ああいう表情の描き方をアニメでやってみたいなぁ
表情が少しずつ変わっていく感じとか。

あと最近やたら見かける加瀬亮くん。(大分前からいろんな映画出てくるけど)
彼は凄いですね、浅野忠信さんとはまたちがう空気メーカーですよね。
彼が出ているだけで画面を緊張してみてしまう。
特に去年くらいからイメージとは違う役をどんどんやり始めていてちょっと尋常じゃない。
ガスヴァンサントの新作にも出る予定らしいですね。凄いです。

最後に気になった動画を


クオリティーというより手法が面白いなぁと
人形アニメだけど結構2Dとの合成を使っていて
こういう表現を突き詰めてみるとまた面白いかもしれませんね^^

2011年1月8日土曜日

年始

あけましておめでとうございます^^

今年も始まりました。

・てくてく予告編
・短編作品の準備
・サイトリニューアルの準備

とやることが多いですが;
今年もよろしくお願いいたします。
諸々打ち合わせも進めないといけないといけないのでホントやることがどんどん増えている現状です。
なんとか一月以内に色々と形にしてお見せできればと思っています。


年末年始は延々と作業中に川尻作品を流しておりました。
「妖獣都市」
「獣兵衛忍風帖」
「ザ・コックピット」
「鉄腕バーディー」
「バンパイアハンターD」

などなど
他にも
「はぐれ雲」
「カムイの剣」

川尻・りんたろう・真崎守監督
なんだか旧マッド作品なラインナップですね。

作品が面白いから見ているというのもありますが、ある時期ブームではあったものの廃れてしまった
漫画活劇・劇画漫画表現は新しいアニメーションの表現のヒントになりそうな気がします。

具体的にいえばアニメーションにおける動きと止めのバランスですね。
縦横無尽に動くところは動き、きちんと止めるところは止める。
この静と動のコントラストが娯楽作品としてのコントラストになっている。
これは日本的な様式美そのものだと思います。

その辺は自分なりに消化できるまで探ってみたいと思っています。

しかしつくづく自分が影響を受けたものは虫プロ・タツノコ出身者のつくったモノが多い

杉井ギサブロー・出崎統・杉野昭夫・川尻善昭・りんたろう・真崎守
そして押井守・なかむらたかし 

それ以外だと斉藤博さんなんかは凄く影響を受けた。

多分妄想だけど今の若手のアニメの作り手は

ジブリ・ガイナックス・IG系列の影響が色濃いと思う。
自分の世代もそういうものが一番触れやすい環境ではあった。

しかし中学の夏に出崎統監督に魂を持っていかれたのが大きいなと;
映画好きだった自分にとって虫プロ世代の人々が描く世界は親和性が高すぎた。

そこからジブリやガイナックスの様なアニメの醍醐味から離れてしまったのが多分わかれ道であり
アニメ好きという方向性から離れ、ある意味邪道な世界に踏み込んでしまったのは作品を作る上では
いい意味でも悪い意味でも大問題なきはする。



獣兵衛の予告


ちなみに全く関係ないですがフランスのアニメ会社annkamaの人気作品「wakfu」の新しいOP見ました。どんどん日本的なアニメーションの作画のケレンが海外に取り込まれているのではないかと思えてならないです。



画面の盛り立てが日本っぽいですよね。


あと面白いなぁと最近感じた動画

Tokyo City View from darwinfish105 on Vimeo.



カメラを介して撮るということは現実を移すのではなく
レンズを通して撮り手の世界観を反映させるものであるということが本当によくわかる映像。
まるでミニチュアのように映し出される街が凄いですよね。