2011年3月27日日曜日

夕陽のギャングたち



お久しぶりです。
久々のブログの更新です。
社会の不景気の真っただ中地震が起こり皆さん大変だと思います。
自主スタッフは全員無事を確認できました。
自主制作もじわじわと進んでおります。
今日は映画の感想かきます。
作るだけではなく、見ること感じることによって自分の感性を豊かにすることは非常に大事ですよね(ただそのどちらに偏ってもいけないというのが大事)一種の栄養剤みたいなものだと思います^^

○後期セルジオレオーネ作品

ここ最近観た映画の中でもマカロニウエスタンの巨匠セルジオレオーネ監督作品に映画、映像の面白さを再び発見する。多くの傑作の中でもレオーネ監督後期の作品に当たる「ウエスタン」と「夕陽のギャングたち」がとても感慨深い作品だった。
レオーネの中でマカロニウエスタンというジャンルの枠ではない映画製作への意欲を強く見せ始めたのが「Once Upon a Time シリーズ」といわれる後期の3作品だ。
その中で唯一周りの説得でマカロニウエスタン的な要素を多く取り入れて制作されたのが「Once Upon a Time in the West 」邦題ウエスタンだ。

予告編


内容
物語は物寂しい西部のアリゾナ州にある駅から始まる。駅のホームで何者かを待ち受ける屈強な三人のギャングたち。そこに現れたハーモニカを吹く謎のガンマンはあっというまに三人のギャングを射殺してしまう。

舞台は変わって荒野の一軒屋、そこでは開拓者のブレット・マクベインが再婚相手を迎え入れるための準備をしていた。しかし突如として現れたならず者フランクとその部下達によってマクベイン一家は皆殺しにされてしまう。更にフランクは偽の証拠を現場に残すことで事件を山賊のシャイアン一味の仕業に見せかける。ブレッドの新妻であるジルは夫を殺した男への復讐と、女一人で西部で生きていく決意をする。

実はフランクがマクベイン一家を殺害したのは、マクベイン一家の土地を奪い取ろうとする鉄道王モートンの差し金だった。事件の真相を探ろうとするシャイアン、そして何故かフランクを付け狙う「ハーモニカ」は美しい未亡人ジルと彼女の財産を守るために協力しあうのだった。(wikiより抜粋)

感想
何よりも魅力的なのは画面に映るものすべてがこの作品そのものを体現していることだ。
徹底的に言葉や台詞による説明を排除しカット割り、撮影、音楽、そして役者の表情によって全てを語る演出は長い尺の映画ながらだれることなく、こちらに緊張感を与える。
無言のやりとりの中で何を物語るのか、隅から隅まで神経の生き届いたレオーネならではの演出術には頭が下がる。
物語の本筋としては、単純な復讐劇であり西部劇的な枠を超えたものかと言われれば、まさに西部劇と言える内容ではないかと思う。しかしながら、作品の背景にある世界観や時代性を物語の背景としてうまく取り入れているその手法は決して単純化された映画でないことを物語っている。
その象徴としてあげられるのは作品に多く登場する蒸気機関車だろう。物語のもうひとつの主役とも言っていい。西部の無法地帯で繰り広げられる古き西部の世界が産業革命によってひとつの終わりを告げていることが意図的に示唆されるような街の情景のOP後の冒頭のクレーンアップのカットは、たった1カットで時代の終わりを描く見事な演出だと思う。
またそれは物語の深いところに大きく関係している。復讐の機会をうかがう主人公そして敵である悪党フランクという西部劇的な構造ではありつつも、ただ単純な悪役像ではなく1人の人間として描くことによってジャンルモノを超えた人間ドラマが展開している。暴力のみを頼りに生き抜いてきた大悪党であるはずのフランク、しかしながらは時代の変化に付いていけず次第に孤立していく様は、見ているこちらもどこか感情移入してしまう。そして主人公のハーモニカもまたフランクに憎しみを抱きつつもどこか自分と同じ古い人間の匂いを感じ取りどこか親近感のようなモノを感じずにはいられない。西部劇という世界に取り残された二人の男の生き様は涙を誘う。
そして映画史に残る最大の見せ場はまさにそんな孤独な男たちの一瞬の邂逅ともいえるだろう。

言葉で語るのではなく絵そのもので映画の中に込めた全ての感情を詰め込んだ名シーン。
息が詰まりそうになる。
配役も素晴らしい!復讐といえばこの男!チャールズブロンソン!
そして多くの西部劇でも正義の味方を演じてきたヘンリーフォンダが悪役をやるというのも非常にロマンチックな配役だと思う。

西部劇というセオリーは踏まえながら、それを超える世界観で生み出したこの作品は本当に腰の据わった演出だと思う。

そして次に作られたのは1971年の作品「夕陽のギャングたち」である。
これがまた凄い!

予告編


内容
舞台は革命の混乱の最中にあるメキシコ。山賊一家の頭目フアン・ミランダと元IRAの闘士であるジョン・マロリーが出会うところから物語は始まる。爆発物のエキスパートであるジョンを仲間に引き入れて、かねてからの夢だったメサ・ヴェルデの国立銀行を襲撃しようとするフアン。最初はフアンをてんで相手にしていなかったジョンも、最終的にはフアンの計画に協力することになる。

ジョンの助力を得て意気揚々と銀行を襲撃するフアンとその一味だが、そこには現金の代わりに現政権に反抗する政治犯が収容されていた。ジョンに騙される形で心ならずも革命の英雄となってしまったフアンは、以後もジョンと共に革命の渦に巻き込まれていく。(wikiより抜粋)

感想

革命とは暴力であるという言葉から始まるこの作品はもはや西部劇ではなく大河ロマンといった印象である。
とにかく娯楽というものの喜怒哀楽を細部に至るま徹底的に詰め込んだ力作である。
革命というものはなんなのか?人々に幸せを与えるための大義があればそれは正義になりうるのか?
非常に重いテーマに挑んだ意欲作ではありつつも、それ以上に娯楽として十二分に楽しめるのが本当に凄い。
冒頭はイングランドの革命家であり何事にもどこか斜に構えたような態度のジョンと陽気で乱暴な山賊フアンの二人のコミカルな会話劇が続く。不安にバイクのタイヤを銃で撃たれたお返しだと言ってフアンの馬車の天井を爆破したりなど、破天荒でどこかユーモラスな二人の珍道中は非常にコミカルで楽しい展開だ。
会話劇としてもよくできており、台詞に関してもレオーネ作品にしては非常に饒舌でそこまた後半の展開に対する大きな付箋になっていて「うまい!」といわざるえない^^;
知的で少し天の邪鬼なジョンと真っ直ぐだけど悪党のフアンのコントラストはバディムービーとしても完ぺきである。「俺達ふたりでジョン&ジョン(メキシコでいうフアンはアメリカで言えばジョンみたいなものらしいです)だ!アメリカに行ってひと儲けだぜ!」と不安が口説き続けるが、「嫌だ!」と終始拒否するそんなやりとりが続く前半。そしてなり行きでフアンはジョンと共にメキシコ革命に身を投じることになる。
ここからの中盤は活劇モノとしてコミカルでもあり軽快なアクションものに転換していく。
そしてひとつのシーンをきっかけに作品のテイストがどんどんシリアスになっていく。

会話の内容をまとめれば
「革命を謳う裕福でインテリな奴らに先導されて貧しくて無知な人間は浮かれたつ。
そうして何も知らないまま、巻き込まれて死ぬのは貧しい奴らだ!」的なことをフアンに怒鳴られるジョンのシーン。

革命に身を投じてきたジョンは反論できない、というよりフアンの言っていることにある意味ショックを受ける。ここからある事件をきっかけにフアンとジョンの立場が少しずつ逆転していくのがまた面白い。

ここからが後半で、物語が核心にせまりシリアスになっていくにつれて、台詞が一切なくなって、言葉ではなく絵が物語をかたり始める。この語り口というか転換が本当に見事。
ウエスタンと同じくレオーネが本当に語りたい言葉はすべて映像が語っていく。
象徴的なのはジョンのこの回想シーンだろう。



悲しいかな命をかけてきたジョンにとっては革命に身を投じることが全てであり、男の生き方でもある。
まさにそれを体現する名シーンがあったりするのだが、それ以上にフアンの暴力に対する憤りと絶望を迫真の演技で描く演出は見事としか言いようがない。

暴力に対する怒り悲しみ絶望その中でも育まれる、ジョンとフアンという正反対の人間の奇妙でロマンチックな友情は涙を誘う。

そんな感じです。
両作品とも何を描いているのかというと人間の営みなんですよね究極的には。
個人的にオッサン好きという趣味があるからというのもあるのですが^^;
ここまで徹底的にドラマとして娯楽として映画として妥協のない映画は久々に見ました。
結構テーマというかコンセプトがたっている映画なんだけど、説教臭さがなくて娯楽としてここまで楽しめるのは、映画の絵の力で描ききり、決して台詞や言葉で説得するようなことをしないことによってキャラクターが監督の都合の産物ではなくその世界に生きるキャラクター、人間として圧倒的な説得力があるからだと思います。僕が思うフィクションの魅力ってそこだと思います。何か自分の言いたいことや描きたいことの為にキャラクターを描くのではなく、1人の人間としてキャラクターや世界観を見る側に立体的に感じさせることが非常に娯楽として親しまれる重要な要素なのではないかなと思いました。